2014年09月16日

閉じない。

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よくないこと、困った事をオープンにシェアすることは、
自分を助ける窓口を、多く持つ、ということ。




朝のシェアでのからの言葉。

「言えばいいのに、言わないのだ。あの時、言っていれば、ということ振り返ったらいっぱいある。」
と、自分の過去の体験を交えながら、1人で抱えることでの影響、霊的視点でのお話を聞いた。

1人で抱えていたら、良くない方向へ行くこと。
人は、自分にとって良くないこと、閉じこもって言わない傾向にあり、
自分で閉じてしまったら、自分を助ける判断ができにくくなるのだ、と。
これは、本人が改善していくのと同時に、周りにいる人たちも、閉じせない環境を創ることが大切なのだ、とも。


この言葉を聞いてから、なんだかハートがとてもモヤモヤ。
何か、を掴めそうな感覚が湧いてきた。
内省する。

これまでの生きてきた時間。
困った事は、できるだけ自分の中だけで解決してきた。解決しようとしてきた。解決、ではなくとも解決した、と無理やり着地させたことがらだって、たくさんある。
今考えれば、わかるけれど、1人でできること、1人で考える案には、限界がある。狭さがある。

人へ言うこと、相談するって選択肢は、優先順位がものすごく低かった。いや、無かった。
恥や立て前、なんてものもあると思う。
弱みを見せたくない、というのも、在るだろう。
考えて、考えて。考えつくした結果、を、人へ伝える。もう、自分の中で決めた事を。

そんな事の繰り返しだった、と思う。それが、当たり前だった。

本音で本気で人へ相談した記憶をさかのぼってみれば、30数年生きてきて、わずか10年ほど前。
dozenののお二人と出会い、探究を始めてから。ではないだろうか。
少しずつ、少しずつ、人へ相談する、ということを覚えてきた。

困った事や悩んでいることを自分の中だけに隠すことが、実は危険であること。
明らかにして、人へ相談することが、いかに安全であり、自分を守護することか、ということ。
探究を始めてから、理解してきたであろう事柄だけれど、今日、改めて考えてみると新たに気付いたことがある。
それは、自分にとって当たり前だった、隠して閉ざす、という生き方。やり方。過ごし方。
実は、とても冷たく、暗く、危険で安心できない環境を自分に与えていたのだ、ということ。
そして、
もし明らかにしていたら?相談していたら?
辛く哀しい事柄も結果が変わっていたかもしれない。違う結果を味わっていたかもしれない。
その可能性が実は、あったのだ、と。

つまり、
自分次第で、明らかにする環境を自分に与えることが、できるのだ、ということ。
自分次第で、自分を温めることができ、光をいれることができるのだ、ということ。
閉ざすことをやめ、人へ明らかにしていくこと。
そして、何より私自身、人が明らかにしやすい環境を創っていくこと。
生きる上で、皆が安全で安心できる環境を創っていくこと。
その環境を自分で自分に与えることができるのだ、という真実の可能性を垣間見てハートが震えた。


私には、望みがある。
それは、愛溢れた楽園がこの地上に溢れていくこと。



posted by aki at 23:08| Comment(0) | 探究。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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